おどうぐばこ

好き勝手あれこれ。だいたい大衆演劇のはなし。

【劇団都】まるっと愛しいということ

8月半ば、お試し感覚で足を運んだ三吉演芸場。

幕が開いたその瞬間から虜になり、翌日にも観に行く始末(笑)。
そして最終的には8月で10回も足を運んでいました。

木馬篠原に比べると、我が家からは電車だけでも倍の時間がかかるのでフラっと立ち寄れない劇場なのですが…やろうと思えば通えるものですね☆




でもきっとそれだけの魅力がある劇団ということで。





たとえば
「楽しくて仕方ない!」って表情で役者さんたちが舞台に立っていること。

生き生きした姿は客席のわたしたちにこれ以上ないワクワク感を引き起こしてくれます。
初めて劇団都を観た日、名前もわからない若い座員さんが微笑ましくて思わず楽しくなってしまって。
しかもそれが一人二人じゃなくて、全員が明るくて眩しい。だから飽きる間が全く無くてずーーーっと楽しい。そしてそんな温かくてやわらかい空気がとても愛しいんです。

写真を撮らない人間なので観に行って体感して!!!としか言えないのですが、本当に癒しでたまらないんです。




たとえば
お芝居に説得力があること。

大衆演劇のお芝居って(劇団にもよるけど)お約束で「そんな都合よく上手くいくかね!」ってことありません?
「ひどい目にあったのにそんなことで許していいの?」「そんな理由で自害しちゃうの?いいの?」って思ったりして。
正直にいえば、登場人物の気持ちに寄り添えないまま「まぁそういう展開だもんね」って言い聞かせてみていたお芝居もあるんです。
でも、劇団都は(少なくとも私が観られたお芝居では)まったくそういうことがなくて。

たとえば『三人吉三 巴の白浪』。
和尚吉三はお嬢吉三とお坊吉三の身代わりとして、血のつながりを知らずに結ばれた自身の実弟妹の首をとってしまいます。
普通に考えれば「お嬢吉三とお坊吉三のため、血がつながりで一緒になれないとはいえ2人を殺すなんてひどい、理解できない」ってなっていたと思うんです。
でも、実際に和尚吉三の表情をみて、そんなことは思わなかった。

「そうだよね、そうするしかないよね、わかるよ」って、思わず隣で肩を叩いてあげたくなった。



「筋書き通りに動くお芝居の世界の特別な人が舞台に集められた」のではなくて、「そこに生きている人が自分の思うように動いて気づいたらこんな結末になっていた」って思わされるというか。
きっと当然のようでとても難しいことですよねこれって。



悪い意味での「芝居らしさ」がないからこそ、登場人物の気持ちに寄り添い共感し、そして最後には抱きしめてあげたくなるほど愛しくなっている。




ね?
舞踊ショーでもお芝居でも、人が愛しくて仕方なくなってくるんです。

それはきれいごとではなくて、劇団をひっぱる座長の根底にある「人間愛」なのかな、なんて思ったり。



しばらく関東に戻る予定はなさそうなのでさびしい気持ちでいっぱいですが、来ないなら会いに行けばいいのです!笑

そしてもしまた来てくれるなら、笑顔でいっぱいの座長・座員さんたちと今度こそ大入りの手打ちが一緒にしたいな。