おどうぐばこ

好き勝手あれこれ。だいたい大衆演劇のはなし。

【橘劇団】居そうで居ない爽やかなときめき

 

9月現在、篠原演芸場で公演中の橘劇団。
昨年も関東の劇場に乗っていたのですが、今ほど熱心に大衆演劇を観ていなかったのでスルーしていました。先月の浅草木馬館で初見、まだ数回しか観れていないのですが行くたびにじわじわと好きになっていくような気がしますね。

 

まだ浅い観劇から感じるのは、「居そうで居ない、爽やかなときめき」です。

 
 

※(結末などではないですが)芝居内容に触れる箇所があります

 

 

そんな空気を身体から惜しみなく発しているのが三代目座長・橘大五郎さん。

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△2015-09-03夜@篠原演芸場
 
 
初めて観たお芝居が任侠モノで、そのときは声色と台詞回しが軽く聞こえてしまい、個人的にはうーん…な感じでした。でももう一度観に行ったとき、この声色・この台詞回しだからこそ別の魅力があるということに気がつきました。
 
それが「爽やかなときめき」。
恋愛ものの映画やドラマってあまり興味がないんです。壁ドンだの袖クルだの甘い口説き文句だの「そんなん現実にないわ」ってちょっと冷めた目やネタ的な見方をしてしまう。だって斉藤工とか福士蒼汰みたいな人わたしの身近にはいない(笑)。
だからキュンキュンしたりもあんまりしない。
 
 
 
 
……んですけど、( もちろんそういう役だったっていうのもあるんですが) 大五郎座長のお芝居で2回キュンというかドッキュンしてしまいました(笑)(笑)。はっはっは。
 
 
たとえば『鶴八鶴次郎』ではたった一言「お豊ちゃん」の呼びかけだけで一気に鶴次郎が愛しくなってしまって。
どこか茶目っ気のある明るくて温かい声色。そこにお豊ちゃんへの好きの気持ちが透けて見えたりして。私達が日常で誰かに声をかけるような何気ない言い方なのに、そこに鶴次郎のキャラクターとお豊ちゃんへの気持ちがうるさくなく乗っている。
お豊ちゃんが思わず羨ましくなってしまう瞬間でした。
 
 
もう一つは『恋の花かんざし』の源太。
目の見えないお花がよく世話をしてくれる源太に、いつか自分を嫁に貰ってほしいと伝える場面。なかなか言い出せないお花。
「わたしを…よ、よき…」
「よき、なんだい?」
「わ、わたしを…よき、」
肝心なところで上手く伝えられないお花に対して源太は、
「俺は短気でまどろっこしいことは嫌いなんだ。『私をよきお嫁さんにしてください』ってことにしておくぜ」と、にいっと笑って花道を駆けていく。
なにこの男前!!!
思わず手で口元を覆うほどにキュンキュンしてしまいました…恐るべし…
 
 
なんでこんなことになってるんだと自分なりに考えてみたら、役設定とか台詞の土台としてご本人の力があるのではないか、と行きつきました。
 
それこそが「居そうで居ない」。
美しいけれど手の届かない高嶺の花というよりは、身近な理想像というか。たまに会う憧れの親戚のお兄さんとか、近所で評判のいい気のいい青年とか、そんなイメージ。
こんな人周りにいたらいいのにな〜って思わせる親しみやすさと人の良さ。それが根底にあるから役が生きて、魅力的になっているのではないでしょうか。
 
 
 
座長さんの話になってしまいましたが、もちろん他の座員さんも素敵で気になる役者さんがたくさんいます。関東を離れる前にもう少し観に行って更に魅力を発見していきたいと思います!